どうも、こんばんは。
芦屋です。
昨日はいつもと違う趣旨の話をさせて頂きました。
本当はブログのコンセプトとずれてしまうので、
あまりああいうことは書くべきではないと思ったのですが、
今後、私の記事をより深く理解する為にはどうしても早いうちに伝える必要があると判断したので、
あのような内容になりました。
まあ、モテるってどういうことかというと、
異性だけじゃなく同性からも好かれる・・・即ち人間性が好かれていることが前提にあると思っていますし、
周りを見ても異性からは好かれるけれど、
同性からはどうしようもなく嫌われているって人はそういないんじゃないかと思います。
逆に言えば小学生とか中学生は顔で選ばれることも多いですが、
大人になったらそんなに顕著じゃなくなりますよね?
ということは人間性がしっかりしていれば、特別何もしなくてもモテるということです。
だからまずは同性から好かれるようにする、というのも方法の一つですね。
こう話し始めるとまたどんどん脱線していってしまいますので、
こういう人間性の話は一応今回で終わりにしようと思います。
いつか『大人講座』というのをやりたいと思っていますので、
そこで深くお話していきたいと思っています。
その内容としては、
- ビジネス基礎講座(物が売れるってどういうことか?)
- 読書基礎講座(人は何故、読み終わった直後でも中身を解説できないのか?)
- 情報処理基礎講座(9割の人は新聞を読んでも天気予報しか処理できない)
- 感覚鍛錬基礎講座(センスが良い人と悪い人がいるのは何故か?)
という、異性との付き合い以前の問題にフィーチャーしていくものを作ろうと思っています。
ただ最近はやたら忙しいので、ちょっと今すぐにというわけにはいきませんが、
ちょっとずつコンテンツを作っていくので公開できる日を楽しみにしていて欲しいと思います。
さて、人としてどうあるべきか?
悲しいことに日本では『人であること』が善しとされていません。
例えば体調が悪くても会社を休めないし、
仮にそれで休んだものなら罵倒され、何かしらの処罰を与えられることもあります。
成績が悪かったらクソミソに無能だとバカにされ、
それが積み重なって「辞めます」と言うと「根性なしが!」と、
まるで自分が加害者であるかのように罵られます。
自分を全て犠牲にして他人に捧げることが日本では美徳とされています。
しかしですよ?
今の言葉はよく言わることですが、厳密には違います。
自分を犠牲にして他人に捧げることを『強要する』のが日本の社会です。
他人には厳しいことを言っても、自分はいかに楽するかばかり考えているじゃないですか。
けれど自分は正しいと思っているんですねー。
それが私には滑稽で仕方が無い。
そもそも日本の学校って言うのは高度成長期、つまり戦後みんなで力を合わせようと一致団結し、
世界中の製品がメイド・イン・ジャパンで溢れていた時に完成されたシステムです。
どういうことかというと、
『より、工場者の人間として相応しい、ルールに従える人間を増やすこと』
が目的であったということが言えるわけです。
だからルールに縛られ、全てに答えがあることを前提とした教育が成されているんです。
そんな時代の教育なものだから、全てにおいて根性論を持ち出すんですね。
よく見て下さい。
根性論を振りかざす人って何一つ論理的に説明なんてできませんから。
例えば自分が何か腑に落ちないことで怒られて質問したとします。
「何でそれをやってはいけないんですか?」
返ってくる答えは、
「決まりだから」か「常識だろ?」もしくは、
「自分で考えろ」
ですから。
つまり何も説明なんてできないんですよ。
常識を持ち出すって言うのは、
『論理的に説明できないことを民衆の力を借りてねじ伏せること』
というのを覚えておいて下さい。
『常識』という言葉は今では『良くも悪くも一般に認知されていること』ですよね?
昔は違ったんです。
昔の『常識』という意味は、今で言う『良識』だったんです。
そして昔の『良識』は『理性』のことだったんですよ。
つまり時が経つにつれて、どんどんランクが下がっていっているということです。
今では『常識だろ?』って言われても、「良いことだ」という印象は受けませんよね?
「みんなやっているんだから」
という意味合いしかなくなっているんです。
そんな言葉を持ち出すなんて恥ずかしいと思わないんですかね?
っていうのが私の考えです。
何が言いたいかというと、常識なんてブッ壊して自分が正しいと思う道を進め、ということです。
前回、カルチャースクールの講師をやっていたという話をしましたよね?
その時にこんな話がありました。
多分、似たような経験をした人も多いと思います。
私は決して『講師』と『生徒』の関係に上下を持ちませんでした。
ずっと対等だという思いで生徒と接してきたのです。
ところが周りの講師は私になんて言ったと思いますか?
「ちゃんと押さえつけないと舐めらるぞ?」
は?
全く意味が分からないんですけど・・・。
私は然るべき料金を頂き、その対価として知識を授けているに過ぎません。
舐められたところでそれは生徒の人間性の問題であるし、
第一、こちらがしっかりとしたコンテンツを提供している限りは絶対に舐められるなんてありえません。
小学生じゃないんですから・・・。
それは普段の仕事でも同じでした。
仕事がうまくできた後輩に褒美をあげようとしたら、
「調子に乗るからそういうことはするな!」
何を言っているのか?この人は・・・。
または会社を辞める人や辞めた人に対しては、とことん冷たいですよね?
「あいつは辞めるんだから雑用だけさせとけ!」
「辞めた人間には関わるな!」
どんだけ荒んでるんだよって思いません?
それに何の意味があるのでしょうか?
いや、分かっているんですよ。
理屈なんてないんです。
『気に入らないだけ』なんですよ。
それが日本の会社の上にいるような人たちです。
しょうがないんですよ、そういう教育を受けてきたんですから。
昔は「やれ!」って言われて、そのままやっていれば物が売れたし、
給料が上がっていったんですから。
だから何も考えなくてよかったんです。
それが今では物で溢れかえっているので、そうやすやす物が売れなくなりましたよね?
デフレだ何だって言われていますけど、当然ですよ。
だって必要なものは全部揃っているのがデフォになっているんですから。
だから昔の時代のまま生きてきた人は術を知らないから、
根性論しか持ち出せないんですよ。
そういうknow howを知らないからです。
トップダウンで押さえつけるのが正しい経営だと未だに信じている人が多いから、
自分より下の立場の人間には平気で畜生みたいに接せられるんですよ。
そういうのに疑問を持ってください、というのが私からのメッセージです。
常識は良識でないんだから、そんな簡単な言葉にまとめないで自分の頭で考えて下さい。
何が人間として正しい行動なのか?
悲しいかな上述したように、日本では人間として正しいであろう行動は不要だとされています。
しかしそんな未だに「法人とは利益を追求する為に存在しているのである」と言っている会社は、
どんどん潰れていっているのですから、決して正しいとは私は思えませんね。
あなたが経営者であった時、
社員を『食わせてやっている』と思うのか、
『食わせなくては』と思うのか・・・。
前者は例外なく業績の低下は全て部下のせいにします。
「お前らがちゃんとやらないからだ!」って。
しかしですよ?
あなたの会社でしょう?っていうのが大前提だと思いませんか?
倒産というのは最大の責任逃れです。
つまり会社が危うい時、社長が誰よりも働かないのは敵前逃亡もいいところだ、ということです。
そういうことを理解している経営者がいかに少ないことか・・・。
人間って面白いものでマクロで見ても、ミクロで見ても、結局行動は同じなんです。
即ちそういうどーしようもないスタンスで仕事をしている人は、
プライベートでも同じだということです。
つまり自分が下に見ているキャバクラのねーちゃんにもバカにされるってことですよ。
そこんところはちゃんと理解しておいて欲しいものです。
さて、こういう暗い話は今日で終わりです。
次回からまたキャバクラを楽しめる人間になる為の術をお話しますので、
今後ともご愛読下さい。
では。
芦屋